松本竜助さんが死亡
私は大阪の出身で子供時代に私の地区の盆踊りに営業で一人やってきたのですが,正直言って面白くはなかった.でもとても感慨深いです.
"タレントの松本竜助さん死去", asahi.com, 20060401
「紳助・竜介(後に改名)」の漫才コンビで人気を得たタレント松本竜助(まつもと・りゅうすけ、本名・稔=みのる)さんが1日、脳出血のため、大阪市内の病院で亡くなった。49歳だった。
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77年に島田紳助さんとコンビを組み、リーゼントの髪形やつなぎの衣装の「ツッパリ漫才」で漫才ブームの一翼を担った。85年にコンビ解消後、竜助と改名。単独でタレント活動などをしていた。
- 20060322夜
- 脳幹出血で倒れる.
- 勤務先で頭痛を訴え、緊急入院。意識はなく、すぐに開頭手術を受けた。
- 20060323
- 20060329
- 集中治療室(ICU)から一般病棟に移る
- 報道では意識不明が続くが小康状態を保ち,危機的状況を脱したと言われた
- 紳助曰く「よくって植物状態。ICU(集中治療室)おってもしゃあないから一般病棟に、と。死んでいくのを待つだけやった」
- 200604010502
- 島田紳助さんの言葉20060401
- 一緒に漫才やった8年間、戦友でした
- 俺は舞台を10回やったら8回手を抜くのに、竜助は10回とも一生懸命やっていた
- コンビを別れても僕のことを我がことのようにほめてくれ、つらい時は懸命に励ましてくれた。
- 2人とも50歳になったら、つなぎ(漫才で使った服装)を着て1回だけ漫才をしようと約束していた。3月24日は僕の誕生日で、あと6日間で50歳という時に(見舞いに行き、寝ている竜助さんを見て)、ほんまにネタ合わせすんのが嫌で寝たふりしてんのかと思った。ほんま、去年やっておけばよかった。
- 漫才コンビは兄弟とも違う微妙な関係。親が死ぬより切ない。竜助の奥さんから「おれの悪口言ってんの聞いたことない。いっつも『おれが紳助の一番最初のファンや』『紳助は天才や。売れると思ってた』」といつも自慢して話していたと聞いてうれしかった。めっちゃ下手な相方でしたわ。全然才能ないんです。だけど、めっちゃめっちゃすごい相方でした。今あいつに言うなら「アホ、ボケしか言うことない。悔しい」
- 僕と出会わんかったら売れへんかったから、普通の人生あったんちゃうか。売れてプレッシャーなって、生き急いだんちゃうか。真剣に悩んでる
- 尊敬する上岡龍太郎さんが余力を残して引退し、第2の人生を歩んだことに共感し、親しい人に「オレも時期が来たらテレビを離れる」と漏らしていた。その構想に竜助さんとの漫才復活もあった。
- 松本竜助さんはこんな人
- せっかちな性格で、早口で聞き取りづらいことが多く、けいこでも失敗が多かった。しかし、紳助が怒ると、翌日にはしっかりネタをマスターしてくるなど努力家だった
- 紳助から生活の様子を聞かれると「大丈夫や」と言い張ったという。
- 紳助が女性社員への暴行事件で謹慎した時には何度も紳助の自宅を訪ね「お前はおれとは違う天才やから大丈夫や」と励ましていた。
- 人生の絶頂を象徴したつなぎの衣装や、再結成に備えて1年前に新調した白いつなぎは、大切に自宅に保管されていた。
- 半生を振り返る自叙伝を執筆中だったが、それを出版することもできなかった。
ご冥福をお祈り致します.