情けは人の為ならず

私は"全然あり"という言葉を使いますが,日本語が乱れているという方もいらっしゃるようです.でも古くは(昭和初め?)"全然なし"よりも"全然あり"の方が正しい使い方だったと先日会った方がおっしゃっていました.


また"情けは人の為ならず"は,もともとは

  • なさけを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。

広辞苑に載っています.でも最近は,

  • 人を甘やかすとその人のためにならない

という意味で使われることもあり,日本語が乱れているという方がいらっしゃいます.しかし既に入学試験などでは使えないほど普及してしまっているようです.


さて情けは人の為ならずの古い意味に関連した小飼弾さんのエントリを読ませて頂きました.

これは他人の命を自分の命と同じ程度に大事と考える方のエントリに対して

結果としては、「私の命の方が大事、ずっと大事」ということになるのだが、かといってそれがこの設問の答えだと言い張るほど自分の命が大事であるという自信もない。ただ思うのは、この設問に「定数解」はありえないということと、この設問は、今後死ぬまで私を悩ませ続けるのだろうという二つの諦めだ。

と自らの命と他の命の価値は定めることが悩ましいとおっしゃっています.
(適確に切り出せていないと思うのでリンク先をご覧下さい.)
また,「私の命の方が大事、ずっと大事」という考えを「少し弱める」と社会の平均寿命が長くなり翻っては自分の命も長らえるという意見に同意なさっているようです.これはまさに広辞苑がいう意味の"情けは人の為ならず"ということですね.


これに対して感想を3点.

  1. お坊さんが動物を食べないのは,悩み続けることを止めたのだと思います
  2. ただし,個人意見では植物も生物であり,植物を食べるためには殺すか傷めているので本来はそれも悩まないといけない
    • 小学生の頃,「何もものを言わない生物(植物)は殺してもいいんですか?」とお坊さんに聞いてしまったことがあります。。。
  3. 戦時中に特攻隊など日本人の多くは女王蜂を守るかのように自分の命の価値を軽んじた.「私の命の方が大事、ずっと大事」という考えを「めちゃくちゃ弱める」と,変な方向に誘導されやすい社会になるのかも知れない。

結局何が(どのバランスが)最適解か?私には分かりません.