Visionary Laboratory

いまの環境がVisionaryでなければ,それは私が組織を変えるか,私がいる場所を変えるまでである.このエントリではその一方の組織を変える目的には,自分が新しい挑戦をし,まわりに成功例を示すことが,もっとも良い方法だと結論付ける.


研究所同期が一人会社をやめてベンチャーに行った.忙しいけど楽しそうだった.
Congratulation !


また社内で意識の高い人間が集まり社外の有名人を招いて会社をどう変えたらよいか議論するという.
立派なことではある.


招待者は私が信奉しているかたなのでその議論に参加したい意識もある.事前に話があったので強く希望すれば参加できたようだ.私は色んなイベントに飛び込んで参加するほうではある.かつては同様の飲み会に参加させて頂き率直な正論に感動した.しかし実は私は少し辟易しているところもある.決してその方への異論ではない.その場の効果である.今となっては何冊も彼の本を読むことができて,何度も直接に彼の話を聞く機会もあり,意識の高い人ならあるべき論が既に浸透しているはずである.このLaboratoryはみんな馬鹿で理解できないから変われないのではない.従って今さらまわりを布教する効果は薄い.


今回,その会に参加することで私が新たに成長できる自信はなかった.またそのような会に参加して私は社内的に自分が意識の高い人物であるというタグ付けに利用する気も起こらなかった.信奉する人を自分のアピールや処世術や自分の位置取りにおけるメリットのためだけに使ってしまっては失礼だから.


Bottleneckは実行段階にある.その会でも当然に実行するための方法論が話されるだろう.しかし,その議論が正しくてもインパクトある効果を得るのは難しい.なぜならまわりが確信犯だからである.彼らはあるべき論ではなく自分の位置取りで動く.意識の高い人とは別に,社内には役人体質で行動を起こさず定年までに課長部長くらいになれればそれで良しとする社員が少なからずいる.パワーポイント作りのフレームワーク力を精進する者もいる.上位レイヤほど多い.下位レイヤの一部は好き勝手コーディングさせよ,Googleを見よという.しかしねたのセンスを見るとfollowers気分で流行に乗ろうとするだけ...が多い.


勝手にやってくれ,でも俺の邪魔はしないでね.私が確信犯をvisionで説き伏せて変える暇はない.この見切りをするのは私が悪い意味で大人になったからかも知れない.しかし,話し合いで変えるには時間対効果が小さすぎる.


もっとも良い方法は,既存の処世術には合わないこの正論モデルで成功例を示すことだと思う.正論で成功モデルがありそれが楽しいことを示さなければいけない.野茂英雄かも知れない.それは実は私ではなくても良い.私は今の研究ねたに自信があるが,ある社内の友人も彼の研究ねたに自信を持っていて,私も筋がいいと思う.彼はこのような議論の場をお勉強会だと言って見向きもせず,やりづらくて仕方がない組織の中で政治的に,研究的に挑戦し,自分が成功モデルを切り開くことに徹している.私もそれを目指す.


私は今のねたが今の会社の事業でのExitが難しければ会社を辞めて外に出て提供するべきだと思っている.今は何か変わった状態で私の活動を認めてもらっている現状ではあるが,このねたでOfferがあれば今でも外に出ているかも知れない.もし私が失敗したとしても,このねたで遠くないうちに世の中の誰かが成功するだろう.いま必要なのは愚直に馬力を持って活動し,必ず成功することである.そうしないと位置取り優先のfollowersはついてこない.正論を理解する仲間作りだけでは壁は破れない.山は動かない.


けっして正論が念仏になってはいけない.「南無阿弥陀仏」を唱えて救われた気になるかも知れないが,それは自分が正しいと安心する活動であり,その次の実行を伴わなければ,何ら世の中をより良く変える生産的な活動にはならないのだから.


しかし,研究者にはこれらをやり遂げる可能性がある.