最大公倍数と最小公約数

ここにはつぎのようなことが書いてあります.

  • 国家の法律は最初はシンプルでもそれがだんだんと複雑化して行き,身動きが取れない閉塞間にさいなまれるようになる
  • 法律が必要な理由は,各個人の行動ポリシである「おれルール」だけでは Race Condition に対応できないからである
  • 法律は,プログラムコードに置き換えても同様なことがいえるようだ
  • ユーザの手間を省くためにいまプログラムは人間の作業を減らし,人間は重要なPermissionを与えるだけすれば良いという環境が増えつつある.またこれはPermissionの入力も必要なくAutomaticallyに施行されるようになるかも知れない.
  • さて法律が自動的に施行されるとしたら、、、


とちょっと違うかも知れませんが,最後部分を私は映画「マイノリティ・リポート(Minority Report)」のようなイメージを感じました.(参考: マイノリティ・リポート 特別編 [DVD]


さてこの本質に反応したわけではないですが,一部に反応して見ます.


法律って犯罪を全て取りしまることを目的関数とするため,性悪説になりがちですし「おれルール」最大公約数となりがちです.これでは非常に息苦しい.複雑化すると更に環境は息苦しくなるし,法律の変更も複雑なコードを変更するがごとく難しくなる.
それをまた遵守させることを仕事にする人が,自分の仕事で最高のパフォーマンスを上げるために過度に頑張り更に息苦しくなる.

特にまじめな方が多い日本,それも東京近辺では殻の乗り越えようとする人が少なくて辟易する.その中にいるとLocal Optimalに陥いることが推奨されているようでイノヴェーションを起こすのにパワーを要する.


かといってそれに自分が従う必要はないので,どう対処するか.

  1. みんなを動かし,教育し,最大公約数を広げる
  2. こっそりとかどうか,ペナルティをおそれるかどうかは別にして,部分的に「おれルール」は通し,最大公約数を無視する

などがあると思います.
小学校時代に一般の授業に追いつくことが困難な方のための養護学校やクラスがあって,なんで一般の授業が簡単でつまらんと思う人のための特別クラスがないんだろうと思ってた私は問題なのかも知れませんが,そういう環境が整備されていないのは効率化やコストという名の下で一車線道路しか作らず,芽をつぶしている行為ですね.


本来はマッシュアップ程度はすべきでそうすると簡単に最小公倍数までもっていきたくなります.更にcreativeさが求められる対象では,組み合わせで可能な最小公倍数以上のものを出さないと特許などは成立しません.


最近日本企業もやっと従来通りの延長じゃあにっちもさっちも行かなくなってきたので,特にR&Dでは良い環境になりつつある感がありますがまだまだです.